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2007-12-27

生い立ち~学生時代

【家庭】
サラリーマンの父、元教師の母、心優しき妹の4人家族の中で育ちました。
両親の会話は、当時の社会情勢や社会問題に関することが多く、父が理論、母が人情を重視する立場で自然にディスカッションが行われていました。
まったく反対の視点かもしれませんが、共通点は、議論を面倒くさがらず、現状を見つめ次に何をするかで考えていた点でした。

そんな中で育ったからなのか、「社会」というものが非常に近い存在となっています。
【小学校時代 (「健康がなければ何もできない」と医療の重要性を感じた小学校時代)】
元気な小学生だった小学4年の自分が、突然、原因不明の高熱にうなされます。その原因は2種類のウイルスが肝臓に感染したことでした。(普通は1種類しか感染しない)
その後、3年間入退院を繰り返します。
元気だった自分ですが、「明日はどうなるのか?」「一体いつになったら元の生活に戻れるのか?」病気だけでも自分の身体のことしか考えられなくなっていました。
その時に嫌というほど感じさせられたことは、人間はやはり「健康」が基本であるということ。
「健康」がなくては安心して生きられない、他のことは何もできないということ。
そんな中から、「医療を安心できる形で提供したい」そう考えるようになりました。
【中高生時代 (一人でも多くの人・社会へのアプローチの価値に気付いた中高時代)】
なんとか病気から回復し、東海中学に進学できた僕は、学年が上がるにつれて生徒会活動や文化祭実行委員活動にはまってゆきます。
段々と自分の世界が広がっていく中で、とある募金活動を始めることになりました。
きっかけは、経済的理由で高校に通えなくなる高校生がいると知ったことでした。「なぜ高校生が自分の責任でもない社会的理由で高校を辞めなければならないのか?!おかしくないか?!」そう思った自分と仲間たちは街頭に立ち募金活動を始めました。頂いたお金を奨学金という形で貸し出すために。
500人で県内の主要な駅で同時多発的に募金活動をした日もありました。街頭で本当に一生懸命、声をはりあげる毎日でした。
その結果、1年間で3000万円の募金を頂くことができました。
ある日、自分が公園で友人と遊んでいると、突然見知らぬ男子学生から「本当にありがとう!」と感謝されることもありました。その時、自分は思いました。自分たちはただ単に自分たちの想いを貫き必死に活動しただけです。
しかし、一人でも多くの人を助けたいと心底思っての行動だった。その為に自ら行動し、社会に訴えかけました。それ元となって、普通なら関わることもなかっただろう見知らぬ人から感謝してもらえたのです。より多くの人を笑顔にできたのです。
一人でも多くの人に対してアプローチする価値・楽しさを実感した中高時代でした。
【大学受験 (現場を知ろうと決めた大学進路選択)】
自分の大学受験は悩みとの戦いでした。自分は何がしたいのか??これまで感じてきた精一杯のことを考えると、医療を安心できるものと一人でも多くの人に感じていただくこと。
一人でも多くの人にアプローチするには、公共政策が一番良いと考えられます。その為には文系に進むべきでしょう。しかし、自分の大切にしたい分野としては、医学部に進むべき。そんな悩みの中にいました。そんな自分が道を決めることができたのは父の言葉でした。
「現場をやらなければ、何も成し遂げられないし、何もわからない。」
その言葉から自分は医学部に入りました。
【大学】
医学部生として勉強するかたわら、自分はAYPという学生によるNPO(任意団体)を創設し、2005年の愛知万博で公共政策の提言イベントを行いました。
その始まりは自分の中のこんな疑問からでした。「人は将来が安心ならば幸せか?」ということです。おそらく違うでしょう。将来が不安ならば人は幸せと言えませんが、安心ならば幸せということはないでしょう。そもそも、人の価値観は千差万別ですから、幸せを一様に定義することなどできません。
それでは、私は何を考えて社会へアプローチしていけばよいのでしょうか?私は悩みました。しかし、結論はでませんでした。
そこで、思ったのです。「日々、皆さんに聞いていくしかない」と。
皆さんが自身の考える「幸せな社会のカタチ」を提案し、それを議論しあって、社会の形をつくっていく。それも、自分だけが幸せであったら単なるエゴですから、自身の考える、皆が生きていける理想の社会でなくてはなりません。今後の社会を共に創っていく若者にこういった認識を持ってもらうために、実際に現在、自分たちが直面している社会問題に対しての解決策を考える機会となる「政策提言」を行いました。
2005年の愛知万博では、政策提言だけでなく、学生イベントの統括を行っておりました。そこには約2000人の若者・市民が集い、僕たちが担っていく今後の社会へのそれぞれの理想像・アプローチ方法を発信しました。
また他にも「We Love NAGOYA」という名古屋市や名古屋大学、南山大学、中京大学、名城大学等の大学、様々な企業と学生による「名古屋を環境の視点から盛り上げていく動き」の立ち上げを学生顧問をしてました。中村利雄元愛・地球博事務総長、神下豊名古屋市環境局理事をゲストに迎えたメインシンポジウムのコーディネーターを務め、200名の皆様と名古屋における環境の明日や学生の動きを共に考えました。
その他、数多くの学生・若者の社会的活動を創り、また応援してきました。

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