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2012-12-03

医療,介護の提供を決める主体について

○中央集権的に決められた医療制度
 現在,医療提供体制は国が決めていると言えます。たとえば医師数の管理は,医学部入学定員設定と医師免許の交付数により決まりますが,それぞれ文部科学省と厚生労働省に権限があります。病床数の総数については,厚労省が都道府県に対して基準病床数の算定式を示しており,実質,国が定めています。今や都道府県の多くの地域が病床数過剰地域であり,そのような地域で増床を図りたくとも,都道府県の権限は制限されています。
 医療費の伸び率については,自然増を除き,改定率で決まりますが,改定率の設定は厚生労働省と財務省が調整の上,決まります。医療の中身は診療報酬の点数設定によって誘導されています。診療行為の医療保険適応の是非,診療ごとの点数設定が厚生労働省の中央医療協議会において議論され,決まります。患者に対して医療保険適応外の治療法を実施しようとすると一部の例外を除いて全額自費となることから,実質行われないこととなります。また,費用に比べて低い点数設定となると,普及は進みません。そういう意味では,治療内容も国が関与していると言えます。
○国における政策決定の過程
 なお,ここでは国などが決めている,と単純に表現しましたが,若干の補足をすると,国レベルで議論が行われ,決定されていると言い換えることが適当です。厚生行政の政策は,厚生労働省が設置した審議会や検討会で議論され,報告書が取りまとめられた後,政策が実施されます。具体的には通達が発せられるか,法制化が必要であれば国会で議論が行われて,採決後,法律となります。厚生労働省が設置する審議会,検討会には,医療提供側代表,保険者側代表,患者代表,専門家,地方行政代表が参画し,合議の元,方針を決定しています。
 国レベルで医療政策を定めることの利点は全国一律の強力な統制が可能であることです。一方で,日本は地域差が大きく,それぞれ文化も異なります。さらに高齢化率,疾患の発生率も大きく異なります。そのため,時として,ある地域で有効な制度が,他の地域では害をもたらす,といったこともあり得ます。
また,国レベルでの議論となると,委員は官僚によってバランスよく選ばれます。その多くが,各団体から推薦を受けることとなり,それぞれの団体の代弁者となりがちであり,団体としての主張を通すことが求められ,時として議論が先鋭化しがちです。そのため,個々の委員は医療現場を知っていたとしても,議論は観念的となり,医療現場とかい離した結論となりかねません。
 仮に現場レベルの議論が展開されたとしても,それは大都市部を念頭に置いたものとなりがちです。特に東京で会議が行われると,そこで語られる医療現場とは,東京周辺の医療となりがちです。そもそも民主主義の体系として,地域住民が地域の医療サービスの議論に参画できないのは問題と思います。
 なお,国レベルで議論する際の原案は官僚が作成しています。そもそも会議のメンバーの選定も官僚が行っています。また,原案作成及び関係者の利害調整も官僚が行います。最後の最後,物事を決める際に最も影響力を発揮する者は利害調整を行う者です。こういう点から官僚の影響力は大きいと言えます。これが果たして民主主義と言えるのか,疑問です。
私も多くの役人を知っていますが,大多数の役人は知識もあり,判断能力もあり,人間的な魅力もあります。自分の出世や,天下りの確保や省益のことばかり考えている小役人は一部です。ただし,その一部が時として問題となります。民主党政権は当初,政治主導の名の元,一部の閣僚は官僚と激しく対立,時には怒鳴りつけ,良い関係を築けませんでした。本来であれば,官僚をうまく使えば,より良い政治主導が可能だったはずです。
中央官庁の役人の境遇にも目を向ける必要があります。長時間のサービス残業,十分とは言えない給料の削減。さらに誤解に基づく政治主導による混乱。メディアからのバッシング。物言わぬ官僚は,優秀な人間から立ち去ります。私は政治主導でかつ,官僚と適切な協力関係を築くことが重要と考えています。
○国と地方の役割分担
 国と地方で役割分担を行う必要があります。日本国憲法では,すべての国民が健康的で文化的な生活を送る権利を有しており,国はすべての国民に対して生存権を保障する義務があります。そこで国はすべての国民に対して,ナショナル・スタンダード,セーフティネットを提供する役割を負うこととし,全国すべての地域で最低限の医療,介護を提供する義務を負わせることとします。 一方で地方においては,国が提供する最低限の医療,介護を基礎として,その地域の特色に応じた医療・介護制度を住民参画の元,実施することを可能とします。
○医療・介護の提供体制構築の単位について
 医療・介護提供を行う際の地域単位のサイズについては,様々な意見があると思います。医療は都道府県が策定主体となり,市町村が集まった二次医療圏を地域単位として地域医療計画が策定されています。介護は都道府県と市町村が連携の上,介護保険事業計画を策定することとなっています。
医療提供体制の策定主体を考える際,めったに発生しない病気を診ることのできる医療機関の整備を目標に考えると適当と思われます。発生率の少ない白血病や難病の治療を行う医療機関の整備を考えれば,市町村単位では小さすぎます。さらに都道府県単位とした場合であっても,都道府県の規模は80万人から1000万人と幅が非常に大きくなっており,人口80万人の県では対応に限界があります。
実際の医療においては,発生率の少ない白血病や難病の治療は旧帝国大学の医学部で行われることが多いように感じます。おそらく,患者の入院アクセスの利便性の限界と,高度の医療提供の集約化の双方が天秤にかけられ,旧帝国大学の医学部が選ばれているのだと思われます。なお,旧帝国大学の病院以外の医療機関において治療が行われることもありますが,その場合であっても,全国で数か所程度であるように思えます。
旧帝国大学,全国数か所の地域単位とは,道州制のブロックがその単位ではないかと思われます。そこで医療についてはまず,道州制を敷き,道州が主体となって医療提供体制を構築するのが適当と思われます。市町村がいくつか集まった二次医療圏が適切と思われます。市町村についても,人口規模が数百人から横浜市の370万人と幅が広すぎることから,ある程度集まった二次医療圏が適切と思われます。
 道州制については戦後より度々議論がなされていますが,なかなか実現のめどが立ちません。それは道州制の議論が規模論や経済活性化,文化論,枠組み論が中心となりがちで,具体像が見えないからと思われます。国民生活に直結し,地域の特性を考慮しつつ政策の展開が可能な医療制度は,道州制の具体像を語るには最も良い事例と思われます。道州制は医療制度から始めてはどうでしょうか。
現在の医療提供体制は二次医療圏を基本に構築していますが,二次医療圏は市町村が集まった集合体に過ぎず,行政単位ではありません。二次医療圏ごとに医療提供体制の目標が立てられていますが,現在の市町村に計画の実施責任を負わせることは困難です。介護保険制度が市町村単位の計画としたポイントは,市町村に実施責任を負わせるためでした。この狙いは成功し,市町村が責任感を持って介護提供体制の構築を行っていますが,人口規模の小さな市町村では介護サービスの提供体制が不十分とならざるを得ず,市町村民へのサービス提供が不十分となっているところもあります。
これらの問題を解決するため,行政単位を,一定の規模を確保した二次医療圏ごとに設定することを提案します。なお,平成11年以降,全国的に市町村合併の推進が図られましたが,歴史的,文化的な問題を背景にこれ以上の合併は困難となっています。そこで医療の行政単位の設定については,市町村合併を求めるのではなく,市町村が集まった広域連合を組むことで提供体制を実現することを提案します。
○地域医療計画と介護保険事業計画について
 医療と介護が有機的な繋がりを持って計画を策定し,実施すべきであると思います。そのためにも,策定主体の単位と,計画策定の地域単位を二次医療圏ごとに統一することを提案したいと思います。また,それぞれの計画を策定する周期も異なっています。地域医療計画が5年ごと,介護保険事業計画は3年ごととなっています。策定周期についても統一するべきと思われます。
○医療・介護のための財源について
 自律的な医療提供体制を整備するためには,独自の財源が必要となります。道州が最大の行政単位となり,責任を持って医療・介護提供体制を構築することとなることから,権限と財源を道州単位で集約する必要があります。保険者も道州単位とします。現在,協会けんぽと後期高齢者医療制度は都道府県単位,国民健康保険についても市町村から都道府県単位に移行していますが,これらも全て道州単位とすることを提案します。介護保険の提供体制も医療制度に合わせて市町村から道州単位とすることを提案します。

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