活動報告・ブログACTIVITY / BLOG

2012-11-30

制度を変えなければ政治は変わらない

 小選挙区を基本とした政治制度は,わずかな風の流れで大きく結果が違ってくる制度です。たとえば小選挙区制をとっているカナダでは,前の与党が大敗してほとんどの議席を失ってしまったことが有名な事例です。小選挙区制は政治制度としては安定感よりもダイナミックな動きを,細かい政策的議論よりは大きなイデオロギー的対立に基づいた政党政治を生み出します。
 いわゆる,2大政党制はこのような背景のもとで,国の方向性をおおまかに示してさえいればよい,いわば若い国家が急激に成長する過程では非常によく機能する制度だといえます。しかし,それぞれの政党の政策が似通ったものにならざるをえません。似通った中でわずかな違いが選挙の結果に大きな差をもたらすために,揚げ足取りや政争に明け暮れがちになります。しかも,現在の日本では,政策のわずかな違い,それも本質とはかけ離れた違いを主張して政争に明け暮れることになっているのが現状でしょう。
 しかも,その政策に対してもともと国民の大部分の信任が与えられているわけではありません。このことは非常に重要だと考えています。二大政党のどちらも,国民の過半数の信任を得ているわけではありません。人口が高齢化し,経済競争が激化する中で,政府に求められる役割はますます大きくなっていることは間違いありません。国民の政府への要求も多様化しています。それゆえ,おおまかな方針しか決定できない二大政党制では国民のニーズに応えづらくなっているということです。自民党か民主党かどちらが政権をとったとしても,どちらの政策も国民の過半数の支持を得ていないということになっています。はたして,これで民主主義は機能しうるだろうか,こう問うべきなのではないでしょうか。
 選挙制度というと一票の格差の問題が声高に叫ばれています。小選挙区制において,選挙区ごとの有権者数が違えば,選挙における一票の価値が違ってきてしまうわけです。これは確かに問題だし,意見であるという批判もうなずけます。しかし,それよりも問題なことは,小選挙区制度では死票がきわめて多くならざるをえないということではないでしょうか。
 政治的なダイナミックさを求めるあまりに,国民の多様な意見を反映させるという民主主義制度において最も重要な観点が抜け落ちてしまったのだと思います。これから必要な政治改革は,より多くの国民の意見を政治に反映させるようなシステムを構築することでしょう。もちろん,多様な利害を政治に反映させるということは,そこに妥協が必要なことをも示しています。しかし,その妥協こそが,成熟した民主主義にとって大切なことなのだと考えています。
 にわかに活気づいてきた首相公選制や地方自治体の首長制も同様です。このような制度はいわばアメリカの大統領制のようなものですが,議会としばしば対立して機能不全を起こしやすい制度といえます。たしかに,緊急時の強力なリーダーシップが必要な時には強みを発揮するわけですが,広く国民の意見を集約するには不適切で,むしろ社会的対立を深める傾向すらあるのが二元代表制という政治制度です。
地域集権を基本とする政治制度を提案する
 地域集権を実現し,地域経済を私経済と公経済の両面から活性化させるためには次のような政治制度改革が必要だと考えています。そこでの重要な点は①地方政治のバージョンアップ,②多様な意見を反映できる選挙制度,③それに合わせた国の政治のバージョンアップです。
 地方政治改革として最も重要なことは,都道府県レベルの政治の機能強化です。具体的には,議会内閣制が必要だと考えています。現在の知事制は,戦前に内務省が県政のトップを派遣していた名残といってよいでしょう。名目上民主主義的に選出されているが,議会との役割分担が不明瞭で,しかも各分野のトップを政治的に任用するわけではなくほとんどが地方官僚の裁量で政策を作らざるを得ません。
 しかも,その地方官僚すらも中央官僚のコントロールを受けており,自由に政策を考えることはできません。このような,選択肢がきわめて限定された状況では,地域は独自性を発揮することなどできないのは当然のことです。工夫する余地がないのだから,非効率的行政にならざるを得ません。そのような背景のもとでは,地方選挙はもりあがらないという悪循環に陥ってしまいます。
 これらをすべて打破するためには,都道府県レベルでは議会内閣制をとって,議会選挙の結果に基づいてその地方の首相が選任され,各分野の大臣が選出されるというプロセスを踏む必要があるのだと考えます。さらに,その際の選挙制度は比例代表を基本とした制度が最も望ましいでしょう。その地域の多様な意見をできるだけ反映させるためには,死票をできるだけ減らす必要があるからです。
 地方の政治を活性化させ,強化するためにはより多くの有権者を巻き込んだ地方政権を作る必要があります。比例選挙と一口にいっても,さまざまなバリエーションが存在しています。ここでは,その詳細に立ち入ることはしませんが,その制度を選択する際に,死票がもっとも少なくなるようにするという視点から選ぶべきであるとだけここでは結論しておこうと思います。それゆえ,議員定数をおもいきって削減するならば,比例ではなく小選挙区であるべきでしょう。
 また,選挙年齢の引き下げも急務だと思います。日本の未来やその地域の未来を担うべき若者が,もっとも政治から排除されてきたといってよいからです。未熟かもしれないが,選ばれる政策の結果にもっとも影響を受ける若者を政治的に包摂する必要があるといってよいでしょう。
 以上の改革で,地域集権的な機能する政治が実現されるかというと,そう簡単には行きません。地方の政治だけが地域の政治をコントロールしているわけではないからです。国の政治体制も,地域集権的なものにバージョンアップする必要があるというわけです。そこで,参議院の存在意義を問う議論が盛んになってきているのでちょうどいい機会だと考えています。二院制の存在意義が希薄化して,参院廃止論まで叫ばれるようになってきました。ここで,参議院改革と地方集権的政治システムの構築という両面から改革案を考えましょう。
 求められる参院改革を一言で言うなれば,地方の意見が国政に直接反映されるシステムとして再構築する必要があると考えています。アメリカでは上院に一つの州から2名の代表を送り込む制度となっています。人口がベースとなっていないので,一票の格差は大変なものになるわけですが,地域の代表として国政をコントロールするのでそれは問題とならないということです。とはいえ,アメリカの上院はやはり相当程度党派対立を軸に機能していて,地域の代表としての意見が必ずしもうまく国政に反映されているとは思えません。
 そこで参考になるのがドイツの連邦参議院ではないでしょうか。ドイツの連邦参議院は,州政府が議員団を送り込み,州政府の意見を国政に直接反映させることができる制度となっています。たいていの場合,州首相が参議院に送り込まれるようです。しかし,ここにも問題はあります。連邦参議院における議決権は人口をベースとして配分されているからです。必然的に人口の多い州の意見が強く国政に反映されることになります。これでは充分に地方の意見を反映させることはできないでしょう。アメリカとドイツの制度に学ぶならば,都道府県政府が議員を送り込み,それぞれの政府がもつ議決権は等しく1票にする,それが新しい参議院の姿ではないかと考えています。
力強いリーダー ―ニッポン大統領-
 国政の政治制度についてさらに突っ込んで考えてみようと思います。多くの国民の意見を集約しうる比例制度を衆院にも導入したとしても,日本の内閣制度には根本的な欠陥を抱えているからです。すなわち,日本の国政における最大の欠陥は,選挙を経ないで首相を交代できる,という点にあるからです。選挙ではそれぞれの党が政策を戦わせ,いわば政策を選ぶという側面があります。しかし,選挙を経ずに内閣が代われば,信任したつもりのない政策が行われることになります。はたしてこれは,民主主義といってよいのでしょうか。これは,このところずっと国民が疑問に感じていて,腑に落ちない点ではないでしょうか。
 このシステムは,中選挙区制と派閥政治を基礎とした場合にはうまく機能したということは確かです。選挙にはエネルギーもコストもかかるし,その間に政策はストップせざるをえません。これは,民主主義にとって必要なコストであると同時に重荷でもあるわけです。選挙を経ずに派閥のバランスで首相を変えることができれば,そのコストは政治家同士の,派閥同士の政治闘争にのみ限定されるということになります。わずかな環境の変化を派閥政治がくみ取り,政策に反映させるためのシステム,それが首相交代の制度なのだといえます。
 ところが,このようなシステムは密室の政治に陥りやすいという欠点もあります。しかも,近年のように毎年首相が交代するような事態に至っては,国政の混乱をいたずらに招いているという事態になってしまいました。外交の分野においては特にそうでしょう。安定した政権のためには首相は交代できなくする必要があります。そうであれば,たとえばドイツのメルケル政権のように議会内閣制においても国際的なリーダーシップを発揮できる首相が誕生しうるわけです。
 だから,当面の政治改革で重要なことは,選挙を経ないで首相を交代できなくするということにあります。このことだけで,ずいぶんと国政もよくなるでしょう。近年の中央の政治は,政局,政局,政局とほとんど機能しているようには見えませんでした。このことは,確かに政治家や政党の責任でもあるわけですが,むしろ制度的帰結であるといってもよいでしょう。
 与党内の結束が,連立政権の連携が,ひいては与野党間の建設的な議論ができないのは,政局と政変の先にある首相交代や衆院の解散を希求してのことでした。安易だ。安易すぎると思います。首相交代や,衆院解散などという制度はもはや利益より害のほうが大きくなってしまったといってよいでしょう。衆院の解散についても再考してもよいでしょう。たとえば,ドイツでは解散権は議会自らが持っています。選挙の比例代表化や首相の交代以外にもそういうことも検討する必要があるでしょう。
 しかし,首相公選は全く実現する見込みがないにもかかわらず,何度も何度も議論の俎上に上がってくるのはなぜだろうかということを考えてみると,政治制度というよりいまの日本では強力なリーダーシップが求められているということなのではないかと思います。その意味では,一人のリーダーを国民が直接選ぶという儀式が必要かもしれない。これは,いわゆる首相公選ということだが,この言葉は使い古されているうえに意味するところが分かりにくいと思う。分かりやすく言うならば,「ニッポン大統領」が必要なのかもしれない。だから,少し大統領制についても検討をしてみようと思います。
 大統領制は国のリーダーを決めるのにきわめて明快な制度です。特に,地域集権を進めれば国の仕事は外交と防衛の比重が大きくなります。そうであれば,なおさら大統領制で強力なリーダーを選ぶことの利点は増えます。ただし,大統領制が強力なリーダーシップを発揮できる制度だとは必ずしも言えない場合があることを考慮しなければなりません。アメリカのオバマ大統領が議会との対立によって,宣言した政策はほとんど実現できずに換骨奪胎され,国債の発行についても危険なチキンゲームが繰り広げられたことは記憶に新しいのではないでしょうか。アメリカの大統領制は三権分立に基づいた美しい制度ではありますが,機能面でみるとしばしば問題を引き起こすことが知られています。韓国の大統領も選挙前の盛り上がりは相当ですが,政権が発足するとすぐに力を失ってしまう傾向にあるようです。
 むしろ参考にするべきはフランスの大統領制かもしれません。フランスでは大統領に政治に関するありとあらゆる権限が集中しており,政治が機能不全を起こすことはないからです。具体的には,内閣と首相を大統領が選ぶことができるし,議会が反発すれば議会を解散させることすらできるのです。しかも,つい最近までは多選が可能でした。大統領の権限の強さと多選が可能であることが,大統領制における強力なリーダーの制度的条件のようです。
 しかし,フランスの制度は地域集権となじまない側面があります。あらゆる権限が大統領に集約されるということは,多くの権限が中央集権的であることを意味しているからです。しかも,アメリカとフランスの大統領制の比較からは,権限の集中が力強いリーダーを作り出す可能性が示唆されています。このように議論を進めると,大統領制という制度自体が,地域集権は矛盾しないのだろうかという疑問が出てきます。いや,確かに矛盾してはいると思います。しかし,大統領の権限が何なのか,ということによって本当に相反する制度なのかどうかということも変わってくるのではないでしょうか。
 大統領制をとっている国といえば,アメリカとフランスのほかにもロシアがあります。そもそも,ロシアは先進国と定義してよいのかも,民主主義国として定義してよいのかも微妙な側面はありますが。しかし,制度の設計については学ぶ部分があると思います。ロシアでは大統領が外交を担って,首相が内政を担うという役割分担があるからです。メドベージェフ大統領とプーチン首相というタッグが,その好例でした。ロシアの内実がどうであるかという問題は別としても,このことはニッポン大統領についても示唆に富んでいるといえましょう。
 このように考えると,大統領と議院内閣制を併存さる半大統領制という制度を採用している国は多い。実は先ほどあげたフランスもそうです。ロシア,イタリア,場合によっても韓国もそうだとされることもあるようです。内政に関してはそれを総括する内務大臣を設置して,大統領は外交と安全保障の取りまとめ役として権限を集中させればよいということなのだと思います。
 そのように考えると,大統領と衆院・参院との関係について必然的にその形が見えてくるのではないでしょうか。外交と安全保障をつかさどる大統領は,ころころ変わっては困ります。だから,当然ですが国会には大統領の罷免権はないほうがよい。多選につていも,多くの先進国では実質の独裁への懸念から禁止されているわけですが,しかし,最終期の大統領は求心力を急激に失う傾向にあることを考えると多選を禁止することによる害の方が大きいようです。
 大統領選が終わった瞬間から,次の大統領へと人々の関心が動いてしまうからです。日本のような状況では,多選禁止条項を設ける必要はないでしょう。お隣の韓国に見習って,1期5年,だけどフランスの第5共和制に見習って多選を禁止しない。こうすることでやっと,国際的に活躍できる日本のリーダーが育つ可能性は高まるのではないでしょうか。まじめに首相公選制度を考えるならば,このような形が望ましいと考えています。
 なお,ニッポン大統領制下の内政構造についても簡単にまとめておこうと思います。内政は内務大臣と国会のタッグで進めます。半大統領制を採用している多くの国で,この大臣のことを首相と呼びます。とはいえ,日本は議院内閣制で長い間やってきたので,この名称は誤解や混乱を生じさせやすいと思います。だから,内務大臣という名称にすればよいでしょう。
 内閣は,現在と同様に衆議院の過半数の支持を以って組閣されなければならないでしょう。そういう意味では,一見大胆な制度変更に見えるかもしれないが,いや確かに本質的にも印象的にも大胆な改革の提案なのですが,制度的にはそうでもない部分も多いと思います。しかし,その際に,すでに議論したことだが,内務大臣が罷免されるときは,同時に衆議院も解散されなければならない,ということは忘れてはならないでしょう。

前に戻る