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2012-11-28

地域から始める制度的実験(1)

(1) 産学「技」の連携
 従来、日本の産業政策において、産学連携は論じられても、基礎研究に従事する大学(学)と製品開発を目的とする企業(産)との中間に位置する応用技術研究(技)の意義についてはあまり注目されてきませんでした。基礎研究から応用研究まで幅広い研究開発機能を有する大企業と違って、ニッチな特定技術・製品開発に従事する中小企業にとって、大学等の公的研究機関が担う基礎研究活動との間にはどうしても距離があります。そのため、地域の中小企業もアクセス可能な応用技術研究に特化した組織が地域経済の振興にとって重要な意味を持つのです。
 ここで、北欧フィンランドの北部都市オウルの事例が参考になります。オウルは、北極線間近の辺鄙な地理的位置にあり、人口14万人程度の小さな地方都市です。でもこの地域は、世界的な通信機器メーカー・ノキア社の研究開発拠点であると同時に、多様な中小ICT関連企業が叢生する地域として有名となりました。日本においても、フィンランド人ジャーナリストのミカ・クルユ著『オウルの奇跡』によって、その成功物語は広く伝えられています。
 オウルでは、1970年代のノキアの通信機器生産工場が誘致されてきた頃に、オウル大学の教授陣を中心とする地域主体の誘致活動を通じて、国家的な応用技術研究所VTTの地方支部(2007年の職員数約400名、3分の2が研究者)が設立されました。VTTはオウル大学の応用技術研究を引き継いで、両者の間に基礎研究-応用技術研究という機能的分担関係が築かれます。
 確かにVTTは国家的な組織ですが、オウル大学やオウル市行政と協力して地域振興活動に従事し、ノキアとの協働だけではなく、専門技術開発サービスや共同研究、専門研究員の派遣等々を通じて地元中小企業を支援したのです。結果的に、地域で誕生した新興企業は、ノキアのみならず海外の有力企業からも信頼を勝ち取って、グローバルな中小企業へと成長しています。
 日本においても、こうした応用技術研究所の展開は不可能ではありません。日本最大級の公的応用研究機関である産業総合技術研究所(2011年研究者数2,337人)のみならず、全国に分散して立地する研究型大学を基礎に、特定部門に特化した応用技術研究所を設置していく道が考えられます。東三河地域においても、豊橋技術科学大学のように、LSIや光メモリー素子、ロボット工学、ITを活用した農業技術、ソフトウェア工学など、産学連携も視野に入れた応用技術研究が展開しており、将来性を有する教育・研究機関が根付いています。
 既に、有機エレクトロニクス研究で有名となった山形大学工学部では、この分野を牽引する研究者の招聘を基礎に、山形県と協力して、2003年に応用技術研究に特化した有機エレクトロニクス研究所を開設しています。ただし、本研究所の事業活動は、東北パイオニアをはじめとする大企業の地方ブランチや域外に立地する大企業との共同研究が中心であり、地域企業との協力活動には未だ課題を残しているようです。VTTオウル支部のように、全国的・世界的な研究ネットワークに参加しながらも、地域に根差した取り組みが必要です。その具体的な取り組みとして、以下に紹介するような地域的な制度的仕掛けが有効になるものと思います。
(2) 技能・知識の形成戦略

 イノベーション時代に最も重要となる資源は、人材であり、彼・彼女たちが有する技能や知識です。人的資本論で著名なノーベル経済学者ゲーリー・ベッカーは、各個人が身に着けた技能(あるいは知識)は、個別の企業でしか通用しないような移転性の低い「特殊的技能」と、基本的なITスキルや高度な数学的知識など、企業を越えて移転可能な「一般的技能」の二つに分類しています。
 この場合、日本のモノづくりを支えてきた技能は、個別企業グループの中で蓄積・継承されてきた前者の企業特殊的技能と言えるでしょう。移転可能性が低く、転職活動を困難にしてしまう技能を、技術者が安心して習得できるように促したのが、終身雇用制度や継続的な昇給制度といった日本的雇用制度でした。長期安定的な雇用環境の下で、技術者たちは、生産プロセスの不断の改善努力に従事して、抜きんでた高品質製品とコスト削減を実現したのです。
 その一方で、大学や大学院のような教育環境を利用しながら、一般的技能の形成を進めてきたのが米国です。各々の技術者は、移転可能な技能を有していれば、低い雇用保護制度の下においても、新しい企業に転職することで新しいキャリアを歩めばよい。また、転職機会が残されていることによって、起業による失業リスクも軽減されることにつながります。これらの制度的支援によって、米国では、革新的な設計やデザインが頻繁に開発され、市場の変化が急速に生じるITやバイオテクノロジー産業において優位に競争を展開できると考えられています。
 新興国のキャッチアップが急速に進む従来のものづくり分野で、これまで通り日本が競争優位を維持できるのか、そして、これらの産業を支援する日本的な制度体系を維持していくべきか。あるいは、米国が得意とするような、ITやバイオテクノロジーといった新しい産業の振興も視野に入れて、そのための国民的な制度改革を進めていくべきなのか。少なくとも、可能であるならば、産業の多角化を目指して、ITやバイオ産業の振興にも力を入れていくべきでしょう。
 また、自動車をはじめとする日本が得意としてきたものづくり分野にも、組み込みソフトウェアに代表される高度なIT技術が深く浸透し始めている実態があります。電気自動車へと移行すれば、この傾向は益々進展することになり、東三河のような自動車部品メーカーの集積する地域では、人材育成や技術開発戦略の大幅な修正が必要になってきます。異質な産業同士のコラボレーション(例、自動車とIT)を進めるためには、産業・企業横断的な技能の習得が前提条件となり、もはや、日本のものづくりにも、幅広い一般的技能の習得が求められています。
 先に紹介したオウルでは、一国レベルの制度改革によって、一般的技能の習得を進めていくというよりも、VTTのオウル支部やオウル大学を基礎に、地域レベルで技能形成戦略が進められました。最新の理論を踏まえた企業横断的なソフトウェア技能が開拓され、ノキアを含む、多くの中小企業が習得し共有しました。その結果、企業間の連携が可能となり、ノキアが新しい携帯通信機器の開発を地域の企業にアウトソースする契機となったのです。
 この企業横断的なソフトウェア技能は、ノキア社製品の仕様を越えて利用することができるので、ノキアのサプライヤーは、他社の製品開発を受注したり、医療機器や自動車部品といった他産業とのコラボレーションにも挑戦することができたのです。その上、企業横断的な技能が普及したことによって、企業特殊的技能による転職活動の障壁が取り除かれるとともに、起業して失業するリスクも軽減されたので、地域にベンチャー企業が叢生するようになったのです。
 現在、オウルでは、オウル大学やVTTといった研究機関だけではなく、豊富な人材が蓄積されたノキア社からのスピンオフ企業が相次いでいます。ノキア社は、日本の大企業と同様に、有能な人材を社内に囲い込む戦略を重視してきましたが、同社のスマートフォン事業における衰退を背景に、大量の従業員のレイオフを進めています。
 オウルにおいても、コア・ワーカーを含む大量の技術者がレイオフされていますが、ノキアが企業横断的な技能形成を重視してきたので、彼・彼女等の有する技能は他社でも通用するのです。そのため、レイオフされた技術者はすぐさま他のICT企業に雇われたり、自らベンチャー事業を興すに至り、オウル経済は、ノキア・ショックに伴う経済危機と同時に、新たな発展局面を迎えています。
 実は、東三河に隣接する浜松市に拠点を置く浜松ホトニクス社を母体企業として、従業員の一般的知識の形成を進めることで、スピンオフ企業の連鎖的な創業がはじまっています。浜松ホトニクスでは、高度な一般的知識を有する従業員を社内に囲い込むのではなく、むしろ、積極的にスピンオフ創業することを奨励しています。創業に成功した際には、その成果を本社の新たな競争基盤として取り込んでいくオープン戦略に新たな成長機会を見出したのです。このようなオープン戦略が企業サイドからも支持されるようになれば、一般的技能形成を進める地域的実験の有効性・実現性が、もっと明らかになるものと思います。
(3) 起業支援政策
 一般的に、新しい経済成長を生み出しているのは、成熟した大企業というより、若い新興中小企業であることが知られています。しかし、世界的な水準から見て、日本の起業活動は活発とは言えません。そのため、日本の起業環境の制度的問題が多方面で論じられてきました。その典型的な課題としては、ベンチャー資本の不足(後述)や起業活動のコーディネーターやアドバイザーの不足に求められることが一般的です。
 後者について論じれば、起業の手順から、製品開発戦略、市場戦略、パートナー企業の発見等々、経営ノウハウに乏しい若い起業家には欠かせない要素と言えます。これらの専門家を地域内外で形成していく必要性は、今日でも重要な課題となっています。
 ですが、起業活動が敬遠される根源的な問題にも接近する必要があります。日本人がリスクを敬遠する国民的性格を有することも関係していると思いますが、もっと人工的につくられた制度問題としては、長期安定的な雇用環境を基礎として、企業特殊的技能の形成を進めてきた日本の制度構造があります。雇用制度の規制緩和を求めて、米国のような流動性の高い労働市場を形成するように制度改革を実施すべきとの意見もあるでしょう。しかし、前項で指摘したように、企業横断的な一般的技能の形成と普及を進めることで、転職活動を促進するとともに、起業に伴うリスクを軽減し、漸進的に起業活動を促していく道もあり得るのです。
 他にも、先のVTTのオウル支部では、地域経済への貢献を目的として、製品開発段階に近い研究活動に従事するVTT研究員の起業可能性に注目し、これを促すために再雇用保障制度を設けている。研究員は起業に際して、失敗したとしても2年間はVTTに復職可能にする規定を設けられており、同時に、起業後も1年程度はパートタイマーとしてVTT研究員を継続することが可能となっています。
 フィンランドでは、もし、起業した後に失業したならば、自営業者としての失業保険が適用され、VTT職員から失業する場合よりも給付額は大幅に減少してしまいます。そのため、パートタイマーとしてVTT職員の雇用を継続し、同研究所の失業保険の適用資格を維持することによって、起業者に一定の安心がもたらされるのです。ここでは、起業活動の促進が、米国のような規制緩和された雇用環境をベースとする制度を前提とせず、日本のような長期的雇用制度の延長上でも実施可能ということがポイントです。

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