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2012-11-27

グローバル競争と地域経済

 両輪論の中で,まずは市場経済についてまとめましょう。1990年代以降、日本経済の先導役であった製造業は、台頭するアジア新興国企業との価格競争、あるいは欧米企業との品質・デザイン競争に晒されて、その求心力を失いつつあります。製造業が躓けば、これに依存する国民経済も低迷する、そして、国民経済の一部分であり、私たちの生活に最も身近な単位である地域経済では、もっと直接的かつリアルにグローバル競争時代の様々な経済問題が表出します。
 今や、地域経済の成長を語ることができるのは、東京や大阪、名古屋といった日本を代表する世界的大都市であり、これに政令指定都市を加えた地域に限られるというのが大方の見方です。政府も、グローバルな都市間競争を見据えて、人口100万人を超えるような拠点的大都市の形成を目指し、中小規模の自治体は、できるだけ合併を通じて一定の人口的・経済的規模を追求するべきとの立場をますます明確にしています。これからの日本経済は、大企業の本拠地としての大都市開発に集中し、これを成長の源泉としていくことが、グローバル経済の生き残りをかけた唯一の選択肢なのでしょうか。
 大都市の形成が経済効率的にも経済発展的にも望ましい、というのは一方で正しい見解です。人口や企業の集中化が進めば、学校や病院、道路、鉄道網、上下水道、電気、等々の社会的インフラを集中的・効率的に供給することができますし、他方で、イノベーションの創出過程においては、多様な知識や技術を有する人材や企業間の交流が重要となり、この点で、多様性の宝庫たる大都市の魅力は今後も高まっていくでしょう。
 それでは、中小地域経済の成長機会は閉ざされているかといえば、そうとも限りません。図は、世界的な経済危機より前の比較的良好な経済成長が観測された2006年の平均値と最新の2012年6月期の都道府県別有効求人倍率を比べたものです。実際には、都道府県内にも市町村・通勤圏レベルで経済状況に違いがありますが、ここでは、おおまかな地域経済間の差異を把握するために、便宜的に都道府県レベルのデータを参照しています。
 有効求人倍率とは、求職者に対する求人数の割合を示したものであり、労働市場の需給状況に対応しており、景況感を端的に表す指標です。この指標が1.0を上回れば、求人募集が十分に存在していることを意味し、1.0を下回れば、求人募集が不足していることを示唆しています。この図で最も重要なことは、一国レベルで見れば、2012年6月の段階で有効求人倍率は1.0を下回り、日本経済が回復したとは言えない状況です。
 地域別に見れば、東京に限らず、復興需要を基礎に成長する岩手・宮城・福島をはじめ、群馬や岐阜、愛知、福井、岡山、香川で1.0を上回っています。九州エリアでは、2006年の水準をほぼ取り戻している地域が見られますが、その値は以前同様、1.0に満たない水準です。また、東京に本社を有する企業の研究開発機能や基幹工場が立地する神奈川や埼玉、千葉では、未だ厳しい就業状況が続いていると言えます。
都道府県別有効求人倍率、2006年平均値・2012年6月(季節調整済)

資料:厚生労働省「一般職業紹介状況(職業安定業務統計)」より作成。
 地域別の有効求人倍率において、特に高いパフォーマンスを見せているのは愛知県と福井県です。愛知県の変化は、2006年の水準に及びませんが、トヨタを頂点とする輸出関連企業の復調傾向と、これに連動して、多様な専門知識サービスを提供可能な名古屋経済の成長が主な要因であるように思います。しかし福井県の場合はどうでしょうか。
 大手輸出企業の立地する太平洋沿岸地域の「裏側」に位置しており、その人口は、県全体でみても80万人程度、県庁所在地のある福井市でも27万人です。実は、北陸地域では、中部経済の名古屋圏、関西経済の大阪圏、関東経済の東京圏、といった統合的な広域経済圏の形成に至らず、石川県、富山県、福井県がそれぞれ一定の自律性を保ちながら、独自の地域経済・産業を育て上げています。
 福井県では、特に、繊維、電子デバイス、眼鏡といった産業分野で競争力を有しており、ニッチ分野であっても世界的な企業が生まれています。例えば、福島県鯖江市に立地する眼鏡フレーム・メーカーのシャルマン(国内従業員:585名、海外含:3,404名、2011年)は、高品質フレーム市場で国内のトップメーカーであり、その品質は海外でも定評を得ています。この他、福井県は人口一人当たり事業所数が全国1位、社長輩出数(出身地別人口10万人当たり)1位、共働き世帯の割合1位、勤労者世帯の実収入(1世帯当たり1か月間)1位、正規就業者の割合3位、等々、北陸地域から日本経済の新しい発展モデルが生まれようとしています。
欧州の地域経済と日本の地域経済
 日本では、中小規模でも活力を維持する地域経済は例外的かもしれませんが、欧州諸国に目を向けると、こうした事例はたくさん見つかります。例えば、映画フィルムの修復や包装機械工業で成長したイタリアのボローニャ市(人口37万人)、重化学工業の街からグッゲンハイム美術館を突破口に観光都市として再生したスペインのビルバオ市(人口35万人)、原発誘致への反対運動から太陽光発電事業を基礎とする環境都市として発展したドイツのフライブルク市(人口22万人)、欧州における先端的なバイオテクノロジー研究と産業の拠点として知られるスウェーデンのウプサラ市(人口14万人)、ノキア社の地方工場を起爆剤として情報通信技術産業の一大拠点へと発展したフィンランド北部のオウル市(人口14万人)、同じく北部フィンランドに位置し、文化芸術とサンタクロースの街として知られる観光都市ロバニエミ市(人口6万人)や、計測技術・産業の研究拠点(カヤーニ市)ならびに、冬季スポーツ関連の技術開発と欧州屈指のトレーニングセンター(ソットゥカモ町)を有するカヤーニ地域(人口6万人)など、様々な地域を挙げることができます。
 これらの地域経済に共通していることは、福井県のように、特定産業や技術分野で非常に強い競争力を有するということです。大都市のような多様な成長資源は存在しなくとも、特定産業地域では、特定分野の優秀な人材や企業や集まって、知識や情報の伝播が促されたり、関連する支援産業が誕生したり、あるいは当該分野で厚みのある労働市場が形成され、大都市とはまた別の魅力が生まれる可能性があるのです。そもそも、いきなり多様な産業の発展を求めても、総花的となってうまくいかないので、まずは、特定産業や技術の全国的・世界的なセンターを目指し、その上で、当該部門の成長を通じて蓄積された人材やノウハウを活かして、多角化を実現する現実的な発展プロセスが描かれています。こうした事例を参考にしながら、欧州諸国では、地域経済レベルの多様な試みを国の発展戦略の根幹に据えて、EUの財政支援とともに、それを支援する政策がはじまっています。
 欧州諸国にように、固有の発展単位として地域経済を設定する戦略は、今日では、二つの点で大きなポテンシャルを秘めています。第一に、規模は小さくとも、ニッチ市場に特化した多様で多数の全国的・世界的拠点が生まれる地域経済の可能性です。かつて重化学工業化の時代には、広大で安価な土地や大量の単純労働力の確保、輸送費用に配慮した最適な立地展開といった、生産コストを最小化することが企業の競争力を大きく左右しました。その経済成長メカニズムには、各地域が有するニーズや歴史、伝統、文化といった地域ごとの多様性はほとんど関係がなかっと言えましょう。しかし工業化時代が終焉を迎えて、高度な専門的知識を有する知識労働の担い手を基礎に、多様化するニーズに対する創造的な解決方法が新しい技術や産業を生み出すポスト工業化の時代を迎えています。そこでは、従来のようなコスト競争力の視点のみでは発展現象を解けません。地域ごとの個性的なニーズや資源を発掘し、これに応えて活かしていく中で、ニッチ技術やオンリーワン企業、延いては、小さくとも多様で多数の全国的・世界的な産業拠点が生まれていく可能性が広がりつつあります。
 第二に、先端的な問題が様々な形態をとって表出する現場として、各々の実験的試みを奨励し、多様な成功モデルを生み出していく苗床となる地域経済の可能性です。今日のように、急速に市場や技術が変化する時代には、経済や社会の諸問題がいち早く表面化する地域経済に対して、従来のような中央レベルの画一的な解決方法では対応できません。むしろ、地域経済レベルの実験的な試みを奨励、支援し、その中で生まれた様々な経験を吸い上げて、中央政府が媒介役となって、他地域に広めていく方法を追求すべきでしょう。
 もっとも、日本では、欧州諸国のように中小規模でも自律して活気のある地域経済がなかなか育たない理由があります。日本の国土構造は、東京に本社=頭脳、地方に支店・分工場=手足、という垂直的で求心的な性格が強く、都市国家の伝統が根付いて、一定の国土構造の水平性を維持する欧州諸国とは前提条件が異なるのも確かです。こうした地域間の機能的分業構造の下では、日本の地域経済には、成長資源の蓄積がなかなか進みません。そのため、地域に根差した諸資源を活用した発展戦略よりも、しばしば、東京かどこか遠いところに本社を置く、意思決定機能を欠いた大企業の地方工場や支店を誘致することで、成長の起爆剤とする外部依存型開発が地域産業政策の主流となってきました。しかし、多くの経験が物語るように、こうした成長戦略では、一時的な税収・雇用増をはじめ経済波及効果を認められても、地域振興に関心の薄い外来企業から地元企業に対する技術や知識の伝播は限られている、進出企業間で横の有機的な連携が生まれない、最終的には、地域の意思とは関係なく撤退することも想定しなければなりません。その時、誘致企業に依存した地域経済は窮地に立たされてしまいます。
 外部依存型開発は、戦後日本の全国総合開発計画を基軸とする地域開発政策で典型的に見られた手法です。しかし、昨今の産業クラスター政策、すなわち、特定産業分野の企業や教育・研究機関、行政が地理的に近接して結びつき、クラスター(ひと塊の集合体)として発展することを目指す地域産業政策においても、同様の開発方式が採用されています。つまり、企業誘致の対象が労働集約的な工場から知識集約的・資本集約的な高度化された工場や研究開発ユニットに変わっただけで、誘致企業に依存しながら地域経済の隘路打開を目指す方法は共通しています。
 その象徴的な例として、シャープの先端的な液晶パネル・テレビの生産・R&D拠点を誘致した三重県亀山市(人口5万人)が挙げられます。2000年初頭、同市は県とともに総額135億円の立地助成金を用意してシャープの誘致に成功し、税収の増加をはじめ地域に一時的な経済波及効果がもたらされました。しかし、加熱する液晶テレビ市場の競争に晒されていたシャープは、大阪・堺工場に最新鋭のパネル工場を新設した結果、亀山工場の重要性は急速に失われ、同工場の生産設備の一部は中国企業に売却される結果となりました。
 シャープの技術開発戦略はブラックボックス化を特徴とし、ライバル企業に模倣されないように、いかに情報・技術漏洩を防ぐかが重要となるため、周辺地域の企業に対する技術的伝播も限定的です。もちろん、同社の優秀な技術者によるスピンオフ創業もありません。シャープの誘致は、地域に対して一時的な量的成長をもたらしましたが、地域の自律的な発展システムを構築する契機とはなりませんでした。
 そうであれば、企業誘致活動を辞して、国際競争にも打ち勝つような明日の移輸出産業を自力で育成できるのか、これもまた厳しい道のりです。高まりつつある地域経済のポテンシャルを日本において開花させるには、地元企業の育成に励みつつも、豊富な成長資源を囲い込む大企業の地方ユニットを拒否するというより、地域に根付かせて活用する政策的方法を検討しながら、地域主体の政策的な力量を高めていく必要があるのです。

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