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2012-11-23

成熟した人口減少社会の経済と家族の関係

 次の問題は「家族の回復」です。ずいぶんと長い間,伝統的な家族形態の崩壊が叫ばれているように思います。それどころか,核家族すらも立ち行かなくなっている現状があるように思います。このような状況の中で,家族の問題を前面に押し出す理由の一つに,それが消費を行う共同体であるからです。衣食住はいうに及ばず,家族の営みを送るには消費をせざるを得ません。
 市場経済の発達した現在において,ニーズを掘り起こして消費を喚起するためには,家族の回復について言及せざるを得ないのです。一人暮らしをしているならば,どれだけ消費を我慢してもなんとか生活していけます。個人の欲求なんてものはたかが知れていて,いくらでも我慢できる。日本人ならなおさらです。しかし,家族のためともなればそうはいきません。金に糸目をつけていられない局面がたくさんあります。全員とは言いませんが,多くの親は,自分の服を買うのを我慢できても子供の服は買ってあげるものでしょう?おそろいの服かもしれません。それが,孫のためともなればなおさらです。
 経済環境の悪化が,つまり所得水準の低下が結婚と出産をためらわせる効果を持っていることは間違いありません。しかし,家族の崩壊が消費を抑制し,引いては経済の停滞をもたらしている側面もあると考えています。経済の停滞と家族形成の困難が悪循環を生みだして,消費を停滞させているといえるのです。日本は物価が下がり続けるデフレーションという状態にありますが,その背後に存在している家族の崩壊を見逃してはいけません。
 デフレスパイラルという言葉があります。それは,デフレーションによって物価が下がる局面で,物価も含めた実質の金利が高くなってしまい,投資と消費が減少し,さらなるデフレを引き起こすという現象を示しています。しかし,そのような経済活動における経路と同様に,経済の停滞が家族形成の困難を引き起こし,さらなる経済停滞を招くという側面も見落とすことはできません。デフレ経済からの脱却のためには,家族の再生が必要だと主張するのはこういう事情があるからなのです。
 そもそも,経済というものは個人の欲求だけで成り立っているわけではありません。共同体の経済とでもいうべきものが存在しています。たとえば,実家に帰ったり,親せきのうちに行ったりすれば,たくさん食べてたくさん飲むことが要求されますよね。それは日本的なもてなしの心でありますし,もてなしの心に応えることが孝行というものだというのが普通の感覚でしょう。
 そこには,食べ物を消費することによって発生する喜び以上の幸福があり,豊かさがあるといっても過言ではありません。しかし,それは同時に需要と消費を底上げしている面があります。このことは,市場経済をベースとした経済の考え方からは見えてこないもう一つの経済の在り方です。経済的には無駄ともいえる共同体の消費形式なのです。だから,市場原理の効率性を過度に強調しすぎると,共同体の経済は立ち行かなくなり,そこでの豊かさは損なわれてしまいます。その上,デフレスパイラルを強めてしまう側面があるのです。
 家族は消費の基礎をなすだけではありません。家族は次の世代を再生産する場でもあるからです。「産めよ増やせよ」と主張しないとは言いましたが,子供を持ちたいのに持てないような社会が望ましいとは考えていません。そのうえ,人口減少は避けがたいわけですが,それは緩やかであるにこしたことはないのです。結婚したい人は結婚できる,子供を持ちたい人は持てるようにする,そして幸せな家族の時間を過ごすことができる。このことは,停滞する消費を喚起するだけでなく,人口減少を緩やかにし,人々の幸福な時間を創出するのです。
 家族を回復することの別の側面は労働の在り方と強く連関しています。家族形成が困難になってしまった理由の一つに女性の社会進出があります。社会進出と表現したましたが,ようは労働市場への進出です。すなわち,よく言われていることですが,市場経済化の進展によって伝統的な家族が解体されてしまったということです。だからといって,女性は家庭に戻るべきであると主張するつもりはありません。それは,家族の回復から考えると逆なのです。
 女性の労働力化の進展を観察すると,これは程度の差はあれ世界的に進行している現象です。先進国であればどこでも女性の社会進出は進んでいるのです。この現象に,政策的にうまく対応できている国では家族は保たれ,失敗した国では家族は崩壊しているということなのです。女性の労働力化と結婚・子育てに対応した社会的基盤を整備することが,実は成熟した人口減少社会には欠かせないのです。このことに成功するならば,出生率が回復するだけでなく,労働人口の減少に歯止めをかけることができるという,一石二鳥の効果を持っているのです。
 もっとも,家族の回復のためには日本的労働そのものを見直す必要がありましょう。日本的労働とは,サービス残業に裏打ちされた超長時間労働のことです。そもそも,サービス残業は企業のコスト感覚を狂わせ,過剰生産の源泉となります。従業員をただで働かせることができれば,企業は経済的に最適な水準以上の生産を行ってしまいます。これは市場経済の原理に反する非効率な生産です。しかし,それ以上に問題なのは,人間にとって労働していない時間は自分の時間や家族と過ごす時間だ,ということなのです。
 当たり前のことですが,働いていない時に消費をしたり,家族の再生産を行ったりするということです。毎日毎日サービス残業をしていたら,家族なんて作れないのは当然でしょう。確かに,輸出中心の高度経済成長期にはモーレツ社員が経済の原動力でありました。しかし,成熟した人口減少社会を迎えるに当たっては適正な労働時間にすることが経済の原動力になるのだと考えています。
 話は少しずれましたが,家族の回復に話を戻すと,男性においても女性においても,労働時間を中心とした雇用のルールを再構築する必要があるということです。結婚すること,そして子どもを持つこと,さらにはその家族との時間を過ごすこと。これが可能でないということが,どれほど経済に害を与えていることか。少なくとも,家族を破壊しないような雇用ルールがなければ,日本経済は復活しえないということです。労働時間の短縮,休暇制度の厳格化,子育て期間の所得保障と職場復帰の保障,子育て費用の軽減。これらの制度が合わさることではじめて,緩やかに家族が回復され,共同体的な消費が伸びて,経済が再び好循環へと向かうことができるのだと考えています。

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