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2012-11-18

地域集権・医療再生・未来への教育

地域集権への道筋
ところで,地域集権とは具体的にどのようなことでしょうか。一つは、政府が持っている権限・財源・人間をセットで地域に渡すことです。このことを,私はサンゲンを地域に移すべきだといっています。しかし、現在の都道府県と市町村という枠組みで,必ずしも適切な行政サービスを提供できるとは限りません。たとえば,医療の供給体制,特に医者の教育という点では旧帝大の影響力は非常に大きいからです。つまり,その権限をどこに与えるのかというと,都道府県という枠組みでは小さすぎるのです。たとえば,地元の愛知大学は愛知県のことだけ考えて医者の教育をしてもらっては困ります。東海地方全体のことを考えられるような枠組みが必要となってきます。また、産業振興、環境、道路などのインフラといった課題は広域で課題解決を行う必要があります。さらに,人材を地域に渡すには、公務員制度改革や国会の在り方も抜本的に改めねばなりません。だから,同州制の在り方も含めて,抜本的に考えていきたいと思います。
 また、地域に権限・財源・人間をセットで渡したとしても、役所だけが仕事をするのでは、効率化や多様化したニーズにはこたえられません。地域の課題は地域で解決するということは、市民の力や非営利セクターの力が発展する必要もあります。同時に地域の政治は更に活発にならねばなりません。地方議員がチェック&バランスだけでなく、ガバナンスにも関わる役割をプロフェッショナルとして果たすことで、強いリーダーシップを発揮し地域を発展させなければなりません。地域集権を実現するための方策についてはあとで詳しく議論しますが、地方議会の活性化や自由度の向上 、基礎的自治体の強化と道州制の整備、国会改革などが必要だと考えています。
ニッポンの医療再生
 社会保障が安心できるものとなり、社会が安定することでわたしたちは、その力を発揮することがきるようになり、同時に消費が増えることで経済は活性化します。日本が持続可能に発展する基盤が社会保障です。現在の日本が抱える消費の根本的不足とデフレの背景には,セーフティーネットである社会保障がぼろぼろで,完全に信頼を失ってしまったことがあるのではないでしょうか。
 現状では国民は強い不安をもっています。私の専門である医療・介護は、医師や介護士などスタッフが圧倒的に不足しています。スタッフを増やす為には、医療・介護予算の拡大が必要不可欠です。これまで政府は、医療費を上げずに、現場に負荷をかけて、医療提供体制を保たせようとしてきました。そのような現場押し付け主義から脱却し、政府が責任を持ってナショナルミニマムとして医療の安心を保障しなくてはありません。ただし、医療は地域地域によって事情が大きく異なる為、実際の医療政策の運用は地域に任せるべきです。また、行政よりも医療の専門家の方が現場の実態に詳しい為、官だけで医療を管理するのではなく、医療提供者も地域の医療政策に関わる仕組みを構築します。また、不要不急の救急診療をおさえることなど、これからの医療体制には住民も大きくかかわる為、住民も参画すべきです。だからこそ,地域集権が必要なのです。
 また、人口減少社会で医療のさらなる充実を図るには長寿医療制度のバージョンアップが欠かせません。日本は国際的にみて,若いころには医療費を使わず,高齢になってからたくさんのお金を使う傾向にあります。医療費の伸びの原因がそこにあるからこそ,高齢者医療がよく問題となるわけです。
 長寿医療制度の問題は、「高齢者切り捨て」に見えたことです。在宅医として高齢者の診療を実践してきた私は、人生の終わりに近づいた人への医療とそれ以外の一般の医療とは異なると考えています。一般の医療が「異常を治すこと=キュア」を目標としますが、人生の終わりに近づいた人への医療は「支えること=ケア」が何より大切です。現在、高齢者の医療費がここまで高いのは、生活や人生を支える医療は軽視され、ひたすら「治す」為の医療が行われているからです。そして、「異常を治す」ことを追求し始めると、薬剤や医療行為がむやみに増え、医療費は増加します。真の意味で高齢者の望む「支える」医療と保険制度を組み合わせることで、それがあくまで結果的に医療費の増加を抑え、財源問題解決の糸口にもなると考えています。
 これらの問題についてもあとで詳しく説明しようと思います。医療介護の問題については、私は医師でありますので、本当にいろいろ言いたいことがあるのです。しかし、専門的な話をできるかぎり分かりやすく説明したいと思います。
子育てと教育を軽視する国に明るい未来はない
 地域集権も社会保障改革も,これからの日本をよくするためには必要なものです。しかし,より長期的に考えるならば,子育てと教育のことを考えなければならないでしょう。その国にある人的リソースをすべで有効に使うことはできないならば、人口減少社会に対応できないと考えています。私が高校生の頃、私の同級生が学校を退学しました。それは、彼女がワルだったからではなく、親の仕事がうまくいかず、経済的に就学が困難になってしまったからでした。今からほんの10年前、2000年代の出来事ですよ!こんなことがあっていいのでしょうか。もちろん、友人だから憤りを感じたということは否めません。とはいえ、日本の社会では教育機会の平等が確保されていないことを目の当たりにしたのです。このままでは日本がだめになると思いました。だから、私は経済的理由で学校に通えない高校生の為の募金活動を始めました。結局,2000万円の募金を集まることに成功しました。
 これはほんの一例ですが,より本質的には,日本の教育再生が必要なのではないでしょうか。日本をけん引する人材を育成すること。個人が満足した人生が送れるように導くこと。このような教育の原点に立ち返るような教育政策が必要とされていると思います。さらには,道徳教育、特に公共心を育む教育を重視しなければならないのではないでしょうか。
 これからの日本に必要な人材は、「人ぢから」を発揮し創意工夫を持ってそれぞれの仕事を高めていく人材です。研究開発だけでなく、今ある商品やサービスを少しでもお客さんの為によりフィットする形に、変えていく小さな営みこそが大切です。他の人と同じような能力を持っていれば良いわけではなく、学力試験などの偏差値などたった一つの指標で序列化できるようなものではありません。新たなものを生み出す力や創意工夫は、答えを効率よく導き出す力から生まれるのではなく、答えなきことに答えをつくる力から生まれます。それには、自ら学びとろうという姿勢や自分の人生や仕事の目標に対する真摯さが必要です。個々人に着目し、子どもの興味やヤル気を引き出し、学びの主体性を育む教育が必要です。子どもの頃からのキャリア教育を重視して、横並びでなくその子どもに合った目的意識が持てる教育を行います。目標が見つかることで、自分に必要な学力もアップします。
 人口減少社会とは,先進国の本質的な現象とは限りません。日本が人口減少先進国なのは,子どもを産み育てる環境があまりにも劣悪であるためです。合計特殊出生率は先進国最低レベルとなっています。子どもを産みにくい育てにくい環境は,社会の変化に政策がついていけなかったことによります。結婚観の変化や家族形態の変化以外にも、子ども育てるのに特に教育面でお金がかかりすぎる、育休制度やワークライフバランスに配慮した働き方ができないという問題、待機児童に象徴される保育の未整備などの課題があります。
そして、保育政策が単に少子化対策や保育に欠ける子どもたちの為に存在するのではなく、なによりも子どもたちの為にあることを明確化し、家族の愛が子どもに十分注ぐことができる環境をつくること,これが本質だと考えています。

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