8月7日は、私の地元・豊川市にとって決して忘れることのできない日です。
昭和20年(1945年)8月7日、豊川市は米軍による大規模な空襲を受けました。
当時、東洋有数の規模を誇った豊川海軍工廠を中心に市街地は壊滅的な被害を受け、旧制中学校や旧制高等女学校の学徒を含む、2,500名を超える尊い生命が失われました。
当時、東洋有数の規模を誇った豊川海軍工廠を中心に市街地は壊滅的な被害を受け、旧制中学校や旧制高等女学校の学徒を含む、2,500名を超える尊い生命が失われました。
戦後81年を迎えた今日、私たちは平和で豊かな日本に暮らしています。
しかし、この平和は決して当たり前に与えられたものではありません。
幾多の尊い犠牲と、戦後の先人たちの不断の努力の上に築かれてきたものです。
しかし、この平和は決して当たり前に与えられたものではありません。
幾多の尊い犠牲と、戦後の先人たちの不断の努力の上に築かれてきたものです。
今、世界ではロシアによるウクライナ侵略、中東情勢の混迷、北朝鮮による核・ミサイル開発や拉致問題、中国による力を背景とした現状変更の試みなど、我が国を取り巻く安全保障環境はかつてなく厳しさを増しています。
このような時代だからこそ、私たちは戦争の悲惨さを決して忘れることなく、同時に、国民の生命と暮らし、そして我が国の主権と領土、自由と民主主義を断固として守り抜く覚悟を持たなければなりません。
平和は願うだけで守られるものではありません。
揺るぎない外交、安全保障、防衛力、そして祖国や郷土を愛する心があってこそ、未来へ受け継ぐことができます。
揺るぎない外交、安全保障、防衛力、そして祖国や郷土を愛する心があってこそ、未来へ受け継ぐことができます。
私は地元選出の国会議員として、この地で起きた悲劇を決して風化させません。
そして、日本がこれからも自由で平和な国家として歩み続けられるよう、この国を守る責任を胸に、国政の場で全力を尽くしてまいります。
そして、日本がこれからも自由で平和な国家として歩み続けられるよう、この国を守る責任を胸に、国政の場で全力を尽くしてまいります。
豊川空襲で犠牲となられた全ての御霊の安らかなることを心よりお祈り申し上げます。
