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2012-11-24

豊かさと経済


 セーフティーネットという議論があります。年金・医療・介護などの「安心・安全」にかかわる制度が機能不全になると,人々は将来の不安を解消するために消費を抑制して貯蓄を行うという議論です。もともとこのような社会的セーフティーネットは家族や共同体が担っていたわけですが,市場経済化の進展に伴い政府がそれを制度化するに至りました。それが,いわゆる福祉国家というもので,先進国共通の現象です。
 しかし,その制度すら機能不全になったので人々が消費しなくなってしまった。消費の減少は,セーフティーネットの機能不全が起きているからだと考えることができるのです。具体的には,雇用環境,年金や医療・介護,教育,子育てといった分野で,リスクに応じた費用を払わなければならないならば,思い切った消費などできないということを意味しているのです。安心は,それ自体にも価値があると思いますが,それ以上に経済に大きな影響を与えてしまうのです。
 とはいえ,「安心」のような心の問題以上に問題なことがあります。それはなによりも給与水準が低下していることでしょう。特にサービス業で顕著です。サービス業の低付加価値化,一人当たりGDPの低下と言い換えることもできます。さらに,それでも消費する時間がないほどに馬車馬のように働いているということです。日本はまだまだ豊かな国だと考える人が多くいるかもしれません。
 世界第2位の経済大国は中国に譲ったとしても,世界第3位の経済大国であると,そう考える方も多いでしょう。それは,ほんの少し自尊心と愛国心をくすぐるかもしれませんが,豊かさという意味では少し誤解があります。私は日本を愛していますが,事実を糊塗するわけにはいきません。確かに,経済力ということを考えるときには,GDPを指標として使うのは問題ありません。中国市場を考えることなくしてはグローバル経済を考えられないように。
 とはいえ,中国が世界で2番目に豊かな国なのかというと,当の中国人たちも賛同しますまい。人口が多いから,需要多く,生産力も高いからです。豊かさを見るならば,一人当たりGDPを参照しなければなりません。一人当たりGDP(PPP平価)で見るならば,2011年に日本は世界で25位の豊かさということになります。中国は93位でアメリカは7位です。2011年は震災の影響があるとしても,2010年には24位でした。
 図を見てください。単にこの水準が他国と比べて低いということよりも,ジワリジワリと下がってきているということに注目するべきです。実感に近い名目の一人あたりGDPは1997年をピークに緩やかな低下傾向になっています。労働人口のグラフを以前お示ししましたが,覚えてますでしょうか。労働者の減少と給与水準の低下がダイレクトに表れていると思います。どうも,1990年代後半以降,日本は本格的な衰退期に突入してしまったようなのです。
 ところで,給与水準が減少傾向にあるのは,非正規雇用の増加が背景にあるといわれています。安い労働力で国際競争力に勝とうという,高度経済成長を忘れられない古い経済戦略の失敗といってよいかもしれません。安価な為替,安価な労働力によって高度経済成長を実現できたことは事実です。しかし,経済成長のために安価な為替,すなわち円に対する国際的信認を低下させることや,安価な労働力,すなわち経済的豊かさを犠牲にすることは本末転倒ではないでしょうか。
 経済成長は豊かさのために必要なのであって,豊かさを捨てて見た目の経済成長を追い求めるとはどこかおかしいのではないでしょうか。むしろ,前述のデフレスパイラルの中心に給与水準の減少があるわけですから,給与水準の増大こそが成熟した減少社会にとって必要なのだと思います。ただし,その増大分を貯蓄に回すのであれば意味はありません。消費を通じたトリクルダウンを目指さなければならないからです。
 長時間労働も問題です。その背景にはいくら給料が上がらなくても,時間外手当がつかなくとも馬車馬のように働く日本人の高いモラールがあるかもしれません。モラールとは「集団の共通目標の実現のために積極的に努力しようとする態度」のことで,ようはやる気です。お金をもらえなくても,やる気を維持できるのが日本人です。よく言われるように,諸外国ならば暴動が起きてしまいます。
 サービス残業という言葉が当然のように使われていますが,人生の一部を労働力として投入しているにもかかわらず,働けば働くほどその労働の価値をどんどんと低めてしまいます。頑張った分だけ,自分の価値を低められるもの,それがサービス残業です。それでも,「努力をすれば報われる」という日本的精神がそれを支えているわけですし,それが黙認されるような労使関係や社会的雰囲気が支配しているわけです。
 市場メカニズムでは,価格を通じて需要と供給が調整されて,効率的な経済が実現します。しかし,サービス残業のような時間当たりのコストが認識されないような状態では効率的な経済など達成されるはずありません。残業代を出さない国では,効率的な経済など望むべくもないということです。
 このことは公務員批判にも当てはまります。私は市場原理主義者ではありませんが,公務員は月給制ではなく時給制にすることで効率的な行政が実現できると考えています。仕事がなければ早く帰らせることで支出を抑えることができます。サービス残業をなくすことで業務の取捨選択が可能となります。民主党の公務員削減政策は結局サービス残業を増加させ行政の非効率性を高めることになるでしょう。やる気も低下します。そうではなく,時給制を貫徹させ,採用の権限を分散させることこそが効率的な行政の前提となるのです。

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