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2012-11-19

成熟した人口減少社会に向けて

就業者数と失業者数

単位: 100万 人
出典: IMF – World Economic Outlook Databases(2012年4月版)
 まずは図を見てください。1997年をピークに就業者数は減少の一途をたどっています。そして,人口減少社会では経済が縮小します。しかし,それゆえに医療・介護・教育も停滞せざるを得ないのでしょうか?私はそうではないと考えています。人口減少社会に対応した政策によって,むしろ経済を活性化させることができると考えているのです。そのために鍵となるのはものが三つあると考えています。それは,「需要の増加」,「家族の回復」,「自然への回帰」です。
 経済は一般的に需要と供給のバランスによって成り立っていると考えられています。日本は伝統的には輸出大国でしたので,長い間,「需要=消費」する分以上に「供給=生産」を行う経済でありました。安い労働力を武器にして日本は戦後復興を成し遂げたということなのです。高度経済成長期には,高い技術力と比較的安い賃金によって世界中に製品を輸出していました。
 ジャパンアズナンバーワンとまで言われた1980年代末にはものすごいスピードで円高になっていたにもかかわらず,そのたびに技術革新によってそれを乗り越えて,輸出を経済の原動力としてきたのでした。輸出が増えればみんなの給料も上がって,その分消費が増えて,その分をさらに生産するという好循環が働いていたのです。このような循環を経済学ではトリクルダウンといいます。輸出で稼いだおこぼれが滴り落ちるように日本経済は潤ってきたのでした。
 しかし,円安に支えられた輸出戦略をいつまでも続けることはできません。一つには変動相場制の問題があります。輸出を伸ばし,貿易黒字が拡大すれば,必然的に円高は進行します。貿易黒字が続けば通貨の価値が変動して,黒字を縮小させるように自動的に調整される。これは市場経済の原理であり,短期的にはさまざまな要因で変動することはあっても長期的にこの傾向を止めることはできないと考えられています。
 すなわち,輸出戦略とはそもそも発展途上の国が先進国化する過程で一時的に通用する戦略であり,成熟した先進国がいつまでも採用することのできない方法なのです。確かに現在のドイツは経済が円熟期に入っている先進国なのに,ずいぶんと輸出で稼いでいるように見えます。しかし,それはユーロという共通通貨の枠組みの中に,ギリシアやスペインなどの経済の弱い国を抱えることで引き起こされたユーロ安の恩恵です。そして,その戦略はもはや行き詰まりかけているのは火を見るより明らかでしょう?
 日本に話を戻すと,円高傾向は1986年のプラザ合意以降,長期的に一貫しています。確かに,円高の理由を貿易収支にだけ求めるのは無理がありますが,ひとつの大きな原因であることは間違いないでしょう。むしろ,経済的に停滞しているはずなのに止まらない円高は,貯蓄過剰=消費過少=投資過少という,日本経済の癌の中枢が透けて見えます。国内投資が過少なのは,日本ではモノが売れなくなってしまったからですが,それに加えて円高が進めば企業は海外投資を増やして現地生産化を進めます。
 これは単にコストの問題というだけではなく,日本の輸出が他国での雇用を奪っているという貿易摩擦問題が背景にあるからです。つまり,表面的・短期的には生産・供給の面が経済発展の源であるわけですが,根源的・長期的には消費・需要の面が経済を動かしていると考えて差し支えないでしょう。経済のグローバル化は需要の奪い合いを顕在化させたのではないでしょうか。
 2000年代に入ると輸出を原動力とした経済の好循環は完全に崩れてしまいました。たしかに,いざなぎ景気を超える長い好景気が訪れましたが,その裏側では,給料は増えず,消費も伸びず,輸出でいくら稼いでも日本の経済は力強さを取り戻すことはないということが分かってきました。その背景には,人口減少と雇用の破壊に伴って,人々が消費しなくなるという構造的な変化が存在していたと考えています。給与が増えなければ,消費しようという気は起きませんよね。給与が増える見通しがなければ,思い切った買い物などできません。
 このように全体的に需要が減少し続ける状態では,日本経済の立て直しは不可能ではないでしょうか。経済の需要面を強調した有名な経済学者にケインズという人がいました。ケインズ的な発想をもって経済政策を考える人たちのことをケインジアンといいます。ケインジアンたちは需要が足りないのであれば強制的に創出すればいいと考えたのでした。その方法は政府支出を伸ばすことであって,特に不景気に合わせて政府支出を増加させることを主張しました。こう書くと何の事だかよくわからないようですが,ようは公共事業をするべきだという主張したのでした。
 実は,日本の高度経済成長を支えていたもう一つの原動力が,この公共事業であったと考えられます。輸出産業で経済成長を達成したのは日本の中でも沿岸部の一部で,その利益を公共事業を通じて日本中に滲み渡らせていたのが公共事業であったのです。日本中に道路を張り巡らせ,高速道路を敷き,新幹線を通す。この土建国家的なメカニズムが国土の均等発展を可能としたといえるでしょう。道路が必要だから作ったという面もありますが,国内の需要不足を補う政策をやり続けてきたということでしょう。
 しかし,交通網のような社会的インフラストラクチャーは無限に必要なわけではありません。いつしか,不必要な公共事業が増えてしまったのです。特に維持管理費が高い下水道などが典型例であす。小渕首相の下で大規模な公共事業が進められましたが,それでも不必要なものをつくることへの批判は止まずに,民主党政権の「事業仕分け」へと受け継がれていきます。
 このような日本の歴史を考えると,不必要な公共事業は必要ないというごく当たり前の結論に至ります。確かに,ケインジアン的経済政策には無理があるといえる部分があります。しかし,私はそれでも需要面の重要さを強調したいのです。それは,私たちの目の前には必要な公共支出が広がっているからであります。すなわち,医療・介護・教育という膨大で必要な需要です。前節までに記したように,医療にも,介護にも,教育にもまだまだ沢山のニーズが眠っているのです。
 
 経済の需要には「ニーズ」と「ウォンツ」があるといいます。ニーズとは,どうしても必要なもの。ウォンツとはなくてもよいけれど欲しいもの。需要を創出する公共事業は,このニーズにおいて支出を伸ばすことです。しかも,これらのニーズは景気循環とは関係ありませんし,ましてや為替変動とも関係ありません。政界経済の動向に左右されることなく,成長が可能な分野だといえます。需要の増加という視点からも,医療・介護・教育に関する議論が経済成長を阻害するどころが,経済成長を促進するものであるということが分かっていただけると思います。

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