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2012-11-18

なぜ,日本は衰退してしまったのか?

 28歳・医師・政治家。本書のこの題名は現在の私をよく表現していると思います。28歳の若造が、ある意味では天下国家を語ろうとしているわけです。とはいえ、私は医師です。日本では医療崩壊が叫ばれて久しいわけですが、私も子供のころから日本の医療の行き詰まりを体験せざるを得ませんでした。私が医療と政治に興味を持つようになったのは、小学4年生の時に大きな病気を経験したからでした。3年の間、入退院を繰り返しました。なんとか完治することはできたのですが、その時に医療崩壊の現実をまのあたりにしたのです。通っていた病院の小児科の先生がいなくなってしまったのでした。子供のころに体験したこのような強烈な出来事が、医者だけでもだめ、政治家だけでもだめ、両方の橋渡しをしなければならないと考えるようになったきっかけです。だからこそ、医療崩壊は絶対阻止しなければならない。それが私の一番根っこの部分にあるわけです。
 私は医療についていろいろと考えているわけですが、医療のことだけうまく行けばよいという風に考えているわけでもありません。医療は、人間の幸福に関係する重要ではありますが、一つの部分にすぎません。ほかにも、教育とか、雇用とか、経済とか、現在の日本はたくさんの問題を抱えています。本論に入る前に、簡単にではありますが、私の問題意識を紹介したいと思います。そこでの最大のキーワードは「人口減少社会」です。医療問題も、教育問題も、経済問題も、人口減少社会を軸にして考えなければ、解決の糸口は見えてこないのではないかと思っています。
日本はかつてジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれる経済大国でした。現在の日本において、これほど過去形で語ることがふさわしいことはほかにないといってもよいのではないでしょうか。日本が経済大国になった原動力はには次の三つがあったのではないかと、私は考えています。
 ひとつめは、「国としての若さ」です。若い国というのは、労働賃金が安く、若者が多い人口構造を併せ持ちます。その状況下では、欧米の先進技術を真似ることで安い製品を生み出せます。さらに、勤勉さや教育水準の高さが相まって、比較的質の高い製品を、欧米が驚くほどの短時間で真似ることができ、日本製品は世界を席巻しました。そして、社会保障や教育や地方の活性化といった分野は、経済が発展して、その便益が回ってくるのを待っていれば良かったといえます。
 ふたつめには、中央集権と官僚を中心とした政官財の一体化がありました。国としての若い力を最大限引き出すためには政官財の強力なタッグが必要でした。工業地帯をつくり、膨大な人口を集め、効率的な運用をするためには、官僚を中心とした強力な中央集権体制と政治や業界団体が一体となることが必要でした。日本全体をある一定の目標、つまり欧米のような経済や生活水準に向けることが非常に重要だったのです。しかし、政官財の連携は、いつしか癒着に変わってしまいました。中央集権体制は、既得権益を生みだし、天下りや公共事業など膨大な無駄を生み出してしまいました。行政は、事なかれ主義・マニュアル主義となり、現場無視・結果無視の風土の中で課題に全く対応できなくなってしまいました。うまくいきすぎたために、政官財の中央集権的機能が機能不全に陥り、人口減少社会においては逆回転を始めて、日本の重荷になってしまったのでした。
 みっつめにあるのが、国民の高いモラルとやる気でした。よくいわれるように日本人は勤勉で、高い教育水準があるだけでなく、家族や地域や企業内で助け合う人の絆が強くありました。これらのことをここではモラルといいます。それに加えて、ある意味では非常に野心的なやる気、向上心に満ち溢れていました。欧米先進国に、追いつけ追い越せというスローガンによく表れています。このような状況の下では、介護や福祉、子育て、治安、防災といった生活に密着した分野は、家族や地域・企業内で助け合おうとする人々の絆によって、現在のような深刻な問題は発生すらしなかったのでした。ところが、戦後教育の欠陥と情報化、都市化や便利な生活の浸透といった様々な変化で、勤勉な国民性は変わりつつあります。そして何よりも、人々の絆は失われつつあります。東日本大震災では、確かに「絆」が強調されましたが、私にとってこのことは平時において絆がいかに失われてしまったのかという、センチメンタルな気持ちをも引き起こしました。経済の分野での市場原理主義の導入は、企業内での人々の絆を失わせてしまいました。経済格差が広がったことで教育水準も低下しています。
 時代は変わりました。変わりつつあるのではなく、すでに変わってしまったのです。日本は世界中で最も高齢化率が高い国となりました。労働賃金も上がりました。欧米の真似をしていれば売れる製品ができ、経済成長する時代は終わってしまったのです。日本を成長させてきた3つの原動力はすでに失われたか、時代に合わなくなったのです。
 この3つの中で、国としての若さはどうしようもありません。それゆえ、私が本書で最も強調しなければならないことは、「人口減少社会」への対応なのです。高齢者が多いことは事実ですし、子どもが少ないことも事実です。かといって、べらぼうに少子化対策をして今の高齢者より多くの子どもがいるようにすれば、発展途上国のような家族構成にならねばなりません。それほど有効な少子化対策はありません。移民政策も人口構造を若返らせようと思うと、移民国家オーストラリアの移民政策よりも遥かに多数の移民を受け入れねばなりません。日本は移民を受け入れる体制ができているとは思えませんし、それが成功したとしても欧米の移民先進国が抱えているような移民問題に苦しむことになるでしょう。
 もう一度、中央集権的な生産体制を強化するのでしょうか。いえ、それは途上国の発展モデルであり、日本にはすでに不適切な選択肢となってしまいました。また給料も昔の水準まで下げろといわれても、それは無理でしょう。たとえばBRICs(ブラジル、ロシア、インド、チャイナの頭文字)やVISTA(ベトナム、インドネシア、サウスアフリカ、トルコ、アルゼンチンの頭文字)に代表されるような、通貨や労働力の安さを強みとする経済成長モデルに対して愛着を感じる政治家は多いでしょうが、私は哀愁を感じさえすれ、有効な政策足りうることはないと考えています。国民のモラルややる気はどうでしょうか。モラルの向上もやる気の向上も必要ですが、それは一朝一夕に成せることではありません。だからこそ、高齢化、少子化、そして人口減少に適合した国をつくらなくてはなりません。一方、中央集権体制にかんしては、政治が変えられることです。そもそも中央集権体制や官僚中心主義は、日本が若い国であったからこそ機能しました。時代が変化した今だからこそ、改めるべきなのです。

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